写真は詩

写真と「詩」はよく似ています。両方とも、見えるものより見えないそれを語ろうとするからですね。例えば、匂いや手触り、音や温度に味、それから時間や感情だって。どれも視覚以外の感覚で目には見えないものばかりです。でも写真や詩ならそれを感じてもらうことができるはずです。

 

だからなのか写真と詩の作り方には共通する部分があります。 実際に写真に対して「poetic(詩的な)」という表現が使われたりもします。それは両者の関係をよく表していると思います。優れた詩からは自然と画(つまり写真)を心の中に思い浮かべることができると思います。反対に言葉を紡ぐようにシャッターを切る感覚はありませんか? 言葉と写真は両想いで切っても切れない関係にあるんですね。

 

それなのに詩となると途端につくるのも聞くのも難しくなる気がしませんか。なぜか世間の目も冷ややかなように思います。でも、だれかに写真を撮って見せてもよいように、詩はだれがつくって聞かせてもよいものです。恥ずべきことではないし、嘲ってよいことでもありません。写真を撮るように、詩を詠んでもよいはずです。言葉を大切にすれば、写真も磨かれていくのだと思います。

 

いわば写真家はみな、写真という方法を使った詩人なのだと思います。たった一枚でもそれを言わずに「あなたが好きです」と伝えることができるのですから。

このテキストは写真本「ひろがるしゃしん」に収録予定です。