たとえば、あなたは赤ちゃんだった頃のことをはっきりと覚えていますか？ 遠い夏の日に友だちと遊んだことを。一年前の今日のことを。そして、先週どこで何をしていたかを。昨日、誰と一緒に過ごしていたかを。ずっと昔のことだけではなく、つい最近のことでさえ忘れていたりしてませんか？
薄れゆく記憶がいつの間にか幻のように感じることがあります。そういえばあれはほんとうにあったことなのだろうか、と。どんなに大切な思い出もすべてを覚えつづけていくのはそう簡単ではありません。たとえ覚えていても気づかないうちに都合よく書き換えていることもあります。それくらい人の記憶はいい加減で、勝手で、曖昧なものではないでしょうか。だから「絶対に忘れない」なんて気軽には言えません。
美しく輝くこの時間がずっと続けばいいのにと願ったこと、いらいらしたり何でそうなったんだろうと頭を抱え思い悩んだこと。それが胸の奥につっかえた塊になっても、知らないうちに消えてしまっていることがあります。いいことも悪いことも、です。それに気づいたとき大切な感情をひとつ失ったような気持ちにもなります。そのとき抱えた想いがなんであれ、心のどこかから消えてしまうのはもどかしいことですよね。
だとしても、それが記憶というものなんだと思います。あったかもしれないこと、ほんとうにあったこと、それは常に紙一重で、その境界には濃淡があり、記憶は自分一人だけではとても不確かなもののままです。それは同じ時間と場所を生き、語り合うことでしか確かめられないのではないでしょうか。写真は同じ時代を生きる者同士でしか撮れないのです。
そして、いま生きている全員が死んだあと、例えば100年後、ここであったことを誰が知ることができるでしょう？ わたしたちの子供たちの子供たちのその子供たちが、わたしたちがここに生き、何をしていたかをどうやって知ることができるでしょう？ もしその記憶を残すことができなければ、それはなかったことになってしまうかもしれません。人が人である理由のひとつは世界の記憶を未来に残していこうとする、その意思にあるように思います。
わたしたちが互いの記憶の隙間を埋めようとするとき、写真ならきっとその手助けになるはずです。そこには自分たちが見ていたものだけでなく、見ていなかったものも写っています。もしも写真がなかったら？ その記憶は限りなく幻と同じになってしまうかもしれません。でも写真には記憶の奥底で眠るそれに光を灯して明るく確かにしてくれる力があるはずです。
人は悲しいくらいに忘れてしまいます。忘れるけれど、それはただ思い出せなくなるだけ。だから写真にしてしまうのでしょう。いや、私たちは写真のおかげで惜しみなく忘れることができるのです。誰に教えられるわけでもなく、写真が尊いと思える理由のひとつがそこにある気がしています。
幻の日々。それはわたしたちの記憶。ともに未来に語り継ぐことで、ようやく「ほんとうにあったこと」になるのでしょう。わたしたちはそれを分かち合う喜びを知っていると思いませんか？
