多摩美術大学 講義メモ

2023年5月13日、多摩美術大学において林響太朗氏が受け持つゼミでゲスト講義をさせていただきました。テーマは「時」でした。そのときにお話ししたことのメモを残します。ゲストは、仕事でもよくご一緒する藤代雄一郎氏と田上直人氏と濱田の三人でした。

 

 

・写真は言葉である。
・まだ名前のないものごとを見つける作業。
・例えば英語には「木洩れ陽」を表す単語がない。
・写真は一枚でそれを表す言語になりえる。
・写真にすることで言葉にならない感覚を共有できる。

 

・写真は時間でもある。
・写っているものごとはもうそこにはない、が本質。
・撮った瞬間に過去になり、見るのは常にそれより未来。
・喪失や不在を描くことで時間が見える。
・例えば「引っ越しの日の西日に照らされた空っぽの部屋」。
・それからが見える子供とそれまでが見えるお年寄りは存在自体が時間。

 

・写真と動画の大きな違いは時間。
・写真は一枚の中で時間がいくらでも伸び縮みする。
・見る人にその感覚を”委ねる”ことができる。
・動画は基本的には1カットの尺自体が経過する時間。
・ただ編集でつなげることで時間の感覚を”操作”できる。

 

・そもそも”時間”は存在しない。
・あるのは時間を表すあらゆる何か。
・一番わかりやすいものは時計で、写真も同じ。
・例えば「好きだった人の伸びた髪」を写せば時間が表現できる。
・一枚の写真の中には過去・現在・未来が同時にある。
・100年前も100年後も今、同じ”時”だという感覚。

 

・誰でも簡単に撮れる時代において、大切なのは視点。
・何をどう見るか、がその人らしさになる。
・なんでもないものごとをまだ誰も知らない見方や角度で見る。
・無数にある点を繋ぎ合わせて新しい星座を見つけるのに似ている。
・それを実際の構図やアングルに落とし込む。

 

・対象が好きな人であるほど物理的にも精神的にも離れる。
・撮影する自分とは別の次元にいるもう一人の自分の目線で撮る。
・別の次元の自分とは、未来からの視点。
・さらにそれを見る人の目線に置き換えることで自分事にしてもらう。
・自分の子供を撮ることでそれを発見した。

 

・強いものごとであるほど強い撮り方をしない。
・例えば泣いている人がいれば震える背中を撮る。
・常に引き算をしてプラスの状態にならないようにする。
・写真自体が自分を強く主張したり誰かを圧倒するものにしない。
・すごいものごとをすごい感じで撮ってすごいと思ってもらうのは簡単。
・なんでもないことを印象的にするほうが難しい。

 

・一枚の写真の情報量はとても多い。
・それを見せなくても感じてもらうことができる。
・むしろ視覚以外の見えない感覚を宿せるのが写真。
・例えば、匂い、手触り、味、音が感じられるようなもの。
・さらに時間が見えると立体的になる。
・それが見る人が個別にしか持たない経験や記憶を呼び起こす。

 

・伝えたいことはない。
・何かがあるとすればそれはすでに見る人の中にある。
・写真は見る人がそれを自ら立ち上げるきっかけでしかない。
・見る人が自分や別のことを考え始めるならそれが理想。
・その人のものになる、その人の生活になるのがよい。
・自分自身は透明な存在でありたい。

 

・写真には暴力的な側面がある。
・意図せず誰かを傷つけてしまう可能性がある。
・ものごとを美化することもその反対も可能。
・見ているものや受け取り方が違う人がいる以上必ずそれが起きる。
・少なくとも撮影者は誠実さと良心を持つことが大切。

 

 

フリートーク形式で学生さんの質疑応答を交えお話ししました。ありがとうございました。