随時、更新していきます。
畏れ多いのですが自分がやりたいことは『よつばと!』の世界に近いなあと思っています。「なにもおこらない」というような。なにもおこらないことで感動してもらうほうが難しいと思うんですよね。最近はSNSだけ見てしまうとそれだとダメな気がしてきて挫けそうにもなりますが続けていこうと思います。 pic.twitter.com/fLKF8nuPru
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) June 14, 2018
愛情はどうやっても滲みでてしまうものなのだからそれをいかに見せないように撮ろうとするかをいつも考えています。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) August 13, 2018
こどもを撮るときのひとつの基準は、それをよその子がやっていても撮るか? なんですよね。自分ちの子どもだけに気持ちをフォーカスしすぎないようにしています。愛情はもちろん溢れるほどありますが、それを写すのはできるだけ避けています。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) August 13, 2018
家族写真にも大きく分けて二種類あると思います。愛情たっぷりの「個人×個人」のもの。引いた目線の「個人×社会」のもの。もちろんたくさん見られる写真はスタートがどちらからにせよ結果として「社会性」を獲得していると思います。ちなみに自分は後者のアプローチです。他人くらいの気持ちです。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) November 21, 2018
小さな世界の話を大きなスケールで撮りたい。家族だったり、日常だったり、街の空気だったり。見た人の中で大きく広げてもらえるような写真。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) November 26, 2018
色や構図は簡単にコピーできます(たぶん)が「眼差し」をそうするのは難しいと思います。そして「眼差し」がその人らしさを決める核になると思います。世界をどう見て、どう向き合っているか。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) September 8, 2018
当たり前のようなことを言ってしまいますが、誰をどの場所でどういうふうに見てどういうタイミングにグッときて撮るかは、その人がどんな経験をして何に感動しどう生きてきたかの裏返しなんだと思います。世界をどう見ているか、その人を恥ずかしいくらいに写し出してしまうのが写真なんだと思います。 pic.twitter.com/Phm5KqaNZW
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) May 2, 2018
みんなと同じものを撮って「らしさ」が浮き出ればそれがその人の写真だと思います。だからその意味では人と違うものを撮るほうが簡単かもしれません。同じものを撮って違うものにするほうが難しいと思っています。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) August 8, 2018
あらゆるものが撮り尽くされている時代なので、まったく新しい被写体を探すのは難しいのも事実です。だからこそ異なる見方を共有すること自体が新しさになるのだと思っています。みなさんはどう思われますか?
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) June 27, 2018
美しいものを美しいと感じてもらうことはかんたんで、ふつうのものに心動かしてもらうほうがもっと難しい。どちらのアプローチでもよいけれど、ぼくは後者に興味があるし挑戦したい。それは見る人の想像力を信じるということだと思うから。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) June 4, 2018
写真うまいなあ、って言うとき何を指すかとえば「技術」じゃないんですよね。つまり「撮れてる」ってことです。どうでしょう。あくまでぼくが言う場合です。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) May 26, 2018
テクニックとして「こうすればうまくいく、撮れる」というやり方は罠にもなり得るなと思います。個人的には「うまい」写真というのは技術以外のところにそれを感じます。ちゃんと「撮れている」か。そこには思考とか経験とかどう生きているかとかがダイレクトに反映されると思います。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) July 10, 2018
写真は以前より増して「視点」の時代に入っていくと思います。みんなが同じものを撮れば撮るほど、別の見方が必要になるからです。https://t.co/m9AeGsJPiC
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) August 19, 2018
誰もやっていないこと、というのは実はもうない。すでに誰かや誰かがやったことを組み合わせて新しいことを生み出す、ということだと思う。そういうことは視点や編集とも言えるだろう。何を撮るか、をよく考えているか? と自分に問いかけなければいけない。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) January 20, 2017
写真で表現したいのもそれで、視覚以外の感覚に時間軸を加え、自分の個人的視点を社会的視点にまで広げ、鑑賞者自身の固有の記憶や経験に結びつけることで、知っているけれど知らない、知らないけれど知っているという時空を飛び越えた感覚を共有したい、のです。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) August 22, 2016
みんなが同じ機材や使えば使うほど、作業環境が似れば似るほど、浮き出るのはその人の視点になる。つまり、自分らしさを生み出せるか、平均化されたところに埋もれてしまうか、その意味の良し悪しは別として、自分で自分を試すことにもなると思う。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) December 11, 2014
それを「機能」で見るか「色や形」で見るか、またはその両方か、に写真家のある視点があらわれるのだと思う。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) July 9, 2018
ひとつ言えるのは、圧倒的に個人的な視点を圧倒的に社会的な表現に変える、それができているかどうかがひとつの評価基準になっています。個人的なだけだと、そうですかで終わってしまう。ただ、これは自分にとってのアプローチゆえの基準なので全員がそうする必要はないのだけれど。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) November 16, 2017
地味な写真ほど見ていただける。つまり地味なくらいでようやくちょうどよい。常に自分の直感値よりも熱量を低くしてから出す。これだ、と思ったポイントはすでに行き過ぎている。というのが自分内ルールです。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) November 30, 2018
ちょっとはずすみたいなのはあるかもしれません。タイミングがばっちりだとやりすぎで、ずれているくらいがちょうどいいという気持ちです。距離もここだと思った場所からはずすくらいで考えています。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) January 29, 2019
ロケーションも象徴的なものを避けています。もし撮る場合は象徴的にならないようにしたいと思っています。とりこぼされたり見落とされた場所が街を立体的にしてくれる気がしています。だからなのか「この写真がその街である必要があるのか?」とたまに言われます。しかしそれがやりたいことなのです。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) January 29, 2019
「この写真がその街である必要があるのか?」とは、どこにでもありそうな場所であったり一見それがどこなのか分かりにくい、というような感じだと思います。わざわざそこまで行ってそれを撮るの? というような。なんとなくわかってもらえたらいいな、あとはお任せしますという気持ちです。どこか感。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) January 29, 2019
いつまでもこんな美しい時間が続けばいいのに(でも続かないのは分かっているしだから撮る)というのが自分にとっての写真。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) January 25, 2019
こどもやお年寄りを撮るのが好きだし、叶わないものや届かないもの、いつかなくなってしまうものに心を奪われる。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) January 25, 2019
写真は自分にとって世界がこうあってほしいという祈りに似ていて。現実のすべてや真実だけを写そうとは思っていないのです。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) January 16, 2019
現実のすべてや真実だけを写そうとはしていない、という話をしました。一方で例え写真家でなくとも、すべてを写すことは難しいと思います。いろんな世界にいろんな人がいて、そしてほとんどの人が写真を撮る時代です。もし全員が同じものを見て同じ写真を撮ったとしたらそれは少し変かもしれません。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) January 17, 2019
写真家である自分はなおさら「異なる視点」を提示することに表現の主題を置こうとしています。もしそれがジャーナリズムであればまた違うと思いますが、それでもなおすべてを写すことはできないはずです。側面を捉える恣意性からは逃れることができないというか、それが写真の本質ではないでしょうか。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) January 17, 2019
だからこそ見た人にとって(その人にとって良いことであれ悪いことであれ)「こんなんじゃない」つまり、わたしが見ているものとは全然違うというのはとても健全な意見なのだと思います。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) January 17, 2019
これ大丈夫かな? 分かってもらえるかな? と心配になることがあるかもしれませんが、自分自身がスパークジョイするならどんどん見てもらえばいいのではと思っています。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) February 19, 2019
色や構図はどんどん真似してください。それだけなら単なる数値や見た目なのでコピーできます。でも、らしさの核となる「視点」はどうやっても同じにはなりません。なぜならそれはその人が生きてきた道であり、生き方みたいなものだからです。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) March 11, 2019
写真でもっとも大切にしている三つのこと。
1.視点
2.距離感
3.カラー&トーンこれは優先度順であり、クリエイティブプロセス順でもあります。 pic.twitter.com/MPvSfD1n0X
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) March 6, 2019
1.視点
自分のスタイルを司りながら核となる部分。世界との向き合い方であり、物の見方、考え方が写ります。シャッターのタイミングもこれがベースになってます。視点を明確にすると2も自ずと決まります。— 濱田英明 (@HamadaHideaki) March 6, 2019
1.視点
自分のスタイルを司りながら核となる部分。世界との向き合い方であり、物の見方、考え方が写ります。シャッターのタイミングもこれがベースになってます。視点を明確にすると2も自ずと決まります。— 濱田英明 (@HamadaHideaki) March 6, 2019
2.距離感
1を起点とし内包されながら、むしろ自分の場合は、被写体が人であれ風景であれストリートスナップであれ、これを他にないような「らしさ」とするために意識して取り組んできた部分になります。e.g.
自分の子供を余所の子のように撮る。
旅先で傍観者のように撮る。
など。— 濱田英明 (@HamadaHideaki) March 6, 2019
3.カラー&トーン
本質には関わりませんが、失敗するとすべてが台無しにもなる重要事項です。意識的に好きな世界の配色を発見、構築し撮ります。自分の場合はフィルムをベースとしラボマンと密な関係を築き日々アップデートに努めています。また案件ごとで露出や色被りを微妙にチューニングしています。— 濱田英明 (@HamadaHideaki) March 6, 2019
写真はきちんとプリントすれば少なくとも100年は残ります。これはすでに証明されていますが、デジタルデータが100年残るかはまだ実証されていません。もし水没しても正しく処理すれば残せるはずです。大切な一枚があればそれだけでもプリントして残しましょう。わたしたちが生きた証を未来に残せます。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) July 11, 2018
写真が生まれる以前の記録媒体はほとんどの場合は書物だったと思います。またお葬式は故人を知る者が集まりその存在を未来に口承するための場でもあると思います。一方で写真はプリントであれば物質として100年先まで残り、たった一枚だとしても多くの情報を未来に伝えることが可能なのです。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) July 11, 2018
写真が尊いと思えるのは、わたしたちの存在を視覚的に、しかしそれ以上の情報をも未来に残していくことができる人類が生み出したほとんどひとつの発明であり文化だからだと思います。もしあなたに大切な人や風景があれば、一枚だけでもよいので写真に撮ってプリントしましょう。
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) July 11, 2018
人はみんな星の欠片からできたらしい。どおりで目に見えるものがぜんぶ懐かしいわけだ。わたしたちは遥か遠い記憶の集まり。 pic.twitter.com/DGdspv0Atn
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) December 24, 2018
シャッターは、愛。
の告白だと思いませんか。 pic.twitter.com/6rpPo9ObKB
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) March 17, 2019
異なること、多様であることこそが写真の真価だと思う。写真があればわたしたちはどこへだって行ける。 pic.twitter.com/YIkdWX4duF
— 濱田英明 (@HamadaHideaki) March 8, 2019