もう3年、まだ3年。

才能はどんな人でも持っているし持っていないともいえる。あなたは写真だよ、と誰かにはっきりと言われたわけではないが、そうかもしれないと気付いた時にはもう35歳だった。それって、どちらかというとそろそろ落ち着こうとする歳だ。
 
案外、自分のことは自分が一番わかっていなかったりするのだ。誰かに気づかせてもらわなければ、持ってなかったものとして終わっていただろう。自分は幸運だったと思う。そして、この数年間で、なにかを始めるのに遅すぎるということはない、というなかば都市伝説のような言葉をリアルタイムで更新しながら実感している。
 
そんな怒涛の日々のなかで、なにをこんなに生き急いでいるのだと、もう一人の自分が問う。正直に言おう。20代なかばの頃の自分といえばてっきり音楽をやるものだと思い込んでいた。実はいまでもその思い込みは捨て切れていないのかもしれない。だから、かつて果たせなかったゆるい夢の埋め合わせをするかのように、いや、成仏させるかのようにして、毎日必死にシャッターを切っているのかもしれない。
 
それに、写真を選び取った理由はそれほど褒められたものではなかった。簡単にいうと、もうそれしか目の前に残っていなかったのだ。身も蓋もない言い方だが、これは一つの事実である。いまさら似合わないネクタイを締めてどこのだれかもわからない人たちと身体を密着させながら満員電車に揺られる毎日なんてもう自分には想像できなかったのだ。
 
ただ、もう一つの確かな事実は、そんな自分を受け入れてくれる人がいて、場所があるということだった。なんてありがたいことなんだろう。浅はかで無鉄砲な自分の生き方が恥ずかしい。それからは、がむしゃらという響きがぴったりの毎日だ。光のような速さの日々に常に周回遅れ気味で、少し前にはもう、ヘトヘトになって走っているような走っていないような自分の背中が見えている。いつものしましまのシャツにはすっかり汗が滲んでいて自分でもちょっと心配になる。
 
言葉は悪いがハッタリの毎日だ。だって、この業界のしきたりなど何も知らずに飛び込んだのだから。ああ、まるで24時間なんとかマラソンのようだ。突然誰かに君ならやれると言われてその気になっちゃったのだ。正直、最後までいけるか自分でも分からないまま走っている。そもそも最後ってどこなんだ。しかもテレビと違ってそこにお涙頂戴の感動はない。
 
それでも後ろを振り返ってみたら、やっぱり納得しかのこっていない。だから少なくとも前には進んでいるのだと思う。そう信じたい。なにより沿道には旗を振ってくれるみんながいる。みんなの顔が見えるのだ。もう3年、まだ3年。たまにコース外を走っちゃう自分にもっと頑張れよと言おう。そして、旗振るみんなには汗だくの感謝をおくります。ありがとう。4年目もよろしくお願いします。