自分らしいはたらき方ってなんだろう。

自分らしいはたらき方ってなんだと思いますか? こどもの頃からの夢を叶えて仕事にする人もいれば、趣味が高じてそれが仕事になる人もいます。でも、誰もがそうやって望んだ仕事に就けるわけでもないのが現実です。そもそもやりたいことが見つからなかったり、好きだけでは生活できなくて別の仕事をすることになったり… 幸せだと思える仕事を見つけるのはほんとうに難しいですよね。

3つの要素

長い間、自分らしいはたらき方について考えてきました。そして、それには3つの要素があると思うようになりました。

好きなこと
できること
向いていること

この3つがそろって、さらに誰か(≒社会)に必要とされたら、それは幸せな仕事になるだろう、そう思っています。でも、なかなかうまくそろわないんですね。

好きだけれどどこか無理している
技術はあるけれどそれほど情熱はない
自然にできるけれど自信はない

こういうことに身に覚えはありませんか? 好きなことなのに理想に届かなくて、それがとても辛い。何年も続けて腕もあがったけれど、ほんとうにこれがやりたいことなのかと思ってしまう。趣味のことなら伸び伸びとできるけれど、それが仕事になるとは思えない… そうなんです、どの要素も片思いし合っているのです。この3つが円を描くようにぴったり噛み合うことはそう多くはありません。

向いていること

実は、このなかで一番大切なのは「向いている」ことだと思っています。なぜなら「好き」と「できる」は自分でも分かるのですが、”ほんとう”に「向いている」ことは自分では分からないからです。「向いている」ことはあまりに自然にできてしまうので往々にして自分では気づけないものなんですね。誰に頼まれるわけでも自然としていること、それをすること自体に何のストレスも感じないようなこと。息を吸ったり吐いたりするのと似ています。では、どうすれば向いていることが分かるようになるのでしょうか。
 
それは意外にもまわりの人が教えてくれるんです。自分自身のことなのに、です。例えば、誰かに「いいね」と褒めてもらえた部分にいまいちピンとこないことってありませんか? 自分にとってはあまりに普通過ぎて、人に言われるまでそれが特別だと気づけないようなこと。それが社交辞令に思えて軽く受け流してしまったり、そんなことないです、と謙遜してみたりするかもしれません。(もちろんそういう謙虚な姿勢は大切だと思います)
 
でも、もしあなたの信頼できる人がそう言うなら、一度素直に耳を傾けてみてください。人に教えてもらってはじめて気づく「自分」のことってけっこうあると思うんです。

つづけて、見てもらう

そうやって誰かに教えてもらうためには、いまやれることを自分のペースでよいので辞めずに続けること、たくさん誰かに見てもらうこと、それが大切だと思います。反対に誰かのいい部分を見つけたら、どんどん教えたり褒めたりしてください。もしかしたらその人は自分の「向いていること」にまだ気づいていないかもしれないからです。
 
人生の早い段階で自分らしいはたらき方に気づけること、これはほとんど奇跡なんだと思います。たいていの人は20代は悩んだり経験を積むことに時間を費やすからです。才能がない、といって諦めることもあると思います。でも、この「才能」という言葉が持つ強さが罠なんですよね。
 
才能、と聞くとなんとなく「限られた人だけのもの」のように思ってしまいます。だから、できるだけ「向いていること」と言うようにしています。どんなに小さなことでもいいので「息を吸って吐く」くらいのこと(でもそれは人にとってなくてはならない尊いことでもあります)。
 
いつか誰かがあなたの価値を見つけてくれます。その道のりで生み出された輝きが一生あなたを救うでしょう。だからそれまではやめずに続けてみてください。まだ知らない自分に、心から相応しいと思える仕事に、自分らしいはたらき方に出会えるかもしれません。

ここからは余談

実は、ぼくはほんとうは音楽の仕事がやりたかったんですね。20年くらい前の話です。でもそれでは生活していけないことに気づいてデザインの仕事をしていました。

 

そのデザインの仕事も付け焼き刃ではじめたことだったので、やっぱり好きではなかったんです。そんな感じでずっと違和感を抱えたままはたらいていました。ほんとうに自分がやりたいことはデザインなんだろうか? 一生この仕事をやっていけるのだろうか? とずっと不安だったんですね。

 

でも、趣味だった写真を撮っていると何人かが良いといってくれたんです。最初はそれが信じられませんでした。まわりからの評価と自分の評価にとても差がありました。それでも楽しかったので、つづけているうちに自分でももしかしてそうなのかな? と思えるようになったんですね。それまでは写真を仕事にできるなんてこれっぽっちも思っていませんでした。まわりの人に言われてはじめて写真に向いているのかもしれない、と気がついたんです。

 

好きと、できると、向いている、がはじめて噛み合ったと思えたその日、すぐに会社に辞めますと伝えました。35歳のときでした。でも、実は正直に言うと、デザインの仕事を辞めたくて仕方なかったのが先で、それならもう写真をやるしか実は残っていない、と消去法で決めました。ほかに仕事にできることもやりたいこともなかったんです。でも、それを選んだのはやっぱりまわりの人の言葉があったからだと思います。

 

ふり返ってみると、好きなことが音楽、できることがデザイン、向いていることが写真だったんですね。でも写真にはそのぜんぶが詰まっていたんです。人によっては本職でなくても、料理が美味しい、字が綺麗、文章が気持ちいい、などほかにもいろいろあると思います。どんな小さなことでもいいのです。

 

ぼくの場合はたまたま写真でした。人よりも長い時間がかかってしまったかもしれませんが、いまはそれが天職だと思えます。でも、もし他にも「向いていること」があるなら写真の仕事は明日にでも辞めてもいいと感じています。写真の仕事をするために生きてきたわけではないし、絶対に写真でないといけないと思ったこともありません。これしかない、と思い込むことが自分をずっと苦しめていたからです。

 

今はすごく心が軽く感じます。もちろんそう簡単に写真の仕事を辞めたりはしませんが、自分にはまだ他の可能性があるかもしれない、そう思えるようになりました。

 

それって、とても生きやすいです。

このテキストは写真本「ひろがるしゃしん」の「はたらき方」の項目に収録予定です。