愛し愛されて生きるのさ

この歌が世界に発表されてからもう四半世紀が過ぎようとしている。17歳だった夏のある日、突然ラジオから流れてきた不思議なメロディと耳に残る歌声に心を奪われた。一体どこからがサビなのかわからなような軽やかに流れるメロディ、細かく詰め込まれた歌詞、そして間奏の語り。奇妙で耳から離れない。こんな変なのに美しい歌をそれまで聴いたことがなかった。大学受験を控え毎日部屋にこもって勉強をしていたぼくは、この歌のおかげでどこか遠いところに飛び立ったような気分になれた。
 
子供たちには、とくに10代終わりから20代前半に、生きることの喜びや、誰かを愛し恋することの大切さを知って欲しいと思っている。その特別な時間は残りの人生を左右するほどに切実なことだと思うからだ。この歌にはそんな気分がたくさん詰まっている。聴いていると胸が高まると同時に恋する気持ちを思い出して切なくもなる。誰もが青春時代に味わうようなキラキラとした胸の高鳴りやソワソワとした心の切なさが閉じ込められている。25年が経とうとしている今でもまったく色褪せることなく新鮮に響いているし、奇妙で不思議な部分も変わらない。
 
「愛し愛され生きるのさ」というタイトルはなんだか気恥ずかしくなるのだけれど、こんなに素直でストレートな言葉を使える人もあまりいない。十分に大人になった今でも息継ぎするポイントを探しながらこの歌を思い出したように口ずさんでしまう。子供たちには、かつての自分がそうだったように、小沢健二という言葉の魔法使いを通して、新しい世界の見方と生きることの喜びを知ってもらいたいと思っている。
 

※これは『THE BIG ISSUE TAIWAN』2018年4月号に「次の世代への曲」というテーマで寄稿した文章に加筆修正したものです。