#もしもSNSがなかったら

 

いきなりですが、みなさんはこのインスタグラムのアカウントをご存知ですか? どうやら同じ人が撮った写真ではなく、いろんな人が撮った写真を集めているようです。

 

 

ロケーションが同じなのは観光であればよくあることですが、不思議なのは構図や色合いまでもが似ていること。ここで見られる写真の技術はとても高いと思います。写真としてとても綺麗。もしかしたら一枚だけを見ればそれほど気にならなかったかもしれません。しかし、それゆえにその共通性の奇妙さがより浮き彫りになっています。これはインスタで起きた象徴的な現象かもしれません。みなさんはどう思われますか?

SNSで起きた逆転現象

スマートフォンとSNSの普及、カメラの高性能化、そしてあらゆる写真にまつわる知識の共有化によって世界は無数の「いいね」な写真であふれています。いまや写真を撮らない人は皆無とも言える時代になりました。
 
カメラを始めたばかりの人が「バズ」を起こし、一夜で数万人によってシェアされるのもそれほど珍しいことではありません(たぶん)。プロとアマチュアの境界線はますます曖昧になるどころか、ある基準においては逆転さえしています。20万を越えるフォロワーを抱えながらも写真を本業としないフォトグラファーが存在する一方で、キャリア数十年のフォトグラファーのフォロワーは3桁を数えるほど、というような例も見られます。しかし、これは安易に数字だけで判断されるような話ではありません。
 
また、みなさんは写真を撮るときSNSで公開することを考えることはありますか? それは本来「撮りたいから撮る(そして見せる)」だったはずの写真が「みんなに見てもらいたいから撮る」という逆転が起きているからかもしれません。
 
なぜこのような現象が起こるのでしょうか?

写真はメディアによって最適化される

写真は限られた数のプリントというメディアからはじまり、大量印刷が可能な時代を経て、インターネット、そしてスマートフォンの普及により現在では十数cmという手のひらサイズのモニターで見ることが当たり前となりました。そして「インスタ映え」という言葉が象徴するように、わたしたちは誰かと同じような写真を撮ることに安心し、同じような写真を好むようになりました。このように写真には見方(メディアやプラットフォーム)によって撮り方が最適化されていくという一面があるのかもしれません。
 
さらに例えば、インスタで見たときは感動したけれどパソコンのモニターで見たら同じようには感じられなかった・・・ 写真展で綺麗にプリントされた写真と同じものをインスタで見たらそれほどでもなかった・・・ これはあくまで例えですが、そのような経験はありませんか?
 
ここでひとつの疑問が立ち上がります。めまぐるしい変化のなかにおいて、もしそれが「いい」写真であれば、メディアやデバイス、そしてプラットホームに頼らない力を持ちえるのか? と。良い写真には可逆性があるのでしょうか? あるいはそうでない写真は? そもそも「いい」写真とはなんでしょうか?

いいね!な写真とは

 

ここに一枚の写真があります。風に舞うビニール袋。背景にはありふれた路上の風景。ここは日本でしょうか。そもそもこの写真はなぜ撮られたのでしょうか。一見のなんのインパクトもなく、かといって深い意味を見いだすことも難しいかもしれません。ましてや「インスタ映え」からはほど遠いように見えます。今回は、この写真を取り上げることで先述したようなSNSで沸き起こる疑問について考えてみたいと思います。
 
実は、この写真は過去二年間にインスタグラムに投稿したすべての写真のなかで三番目に「いいね!」の数が多かった作品なのです(2018年5月当時)。この写真を取り上げた理由は、その数がまったくの想定外だったからです。それほどにたくさん見ていただけるとは思っていなかったのです(自分はでも気に入っていた)。しかし、結果は予想を裏切るものでした。
 
いいね!の数は、2019年3月3日現在で「17922」になっています。このなんでもないような写真がなぜ撮影者自身による評価を超えた見られ方をしたのでしょうか?

いい写真とは

 

018年5月に東京で開催された「SNS展 #もしもSNSがなかったら」において「What is a good photography?」と題したインスタレーションのような展示をしました。展示では、例の一枚の写真を可能な限りさまざまな方法で見ていただけるようにしました。

展示したデバイスやメディアはこんな感じでした。

 

・ iPhone(インスタ)
・ デジタル出力チェキ
・ Tシャツプリント
・ L判デジタル銀塩プリント
・ 大判インクジェットプリント
・ A3 キンコーズ出力
・ 100 inch プロジェクター
・ ブラウン管テレビ
・ Macbook 15inch モニター
・ 液晶テレビ
・ 家庭用プリンター
・ アクリル出力

 

同じ一枚の写真でも方法が違うと見え方は変わります。この展示では同じ環境で見ることができましたが、それでもメディアによってサイズも色も明るさも異なって見えます。そもそも世界中の人が見る環境はバラバラであり、見るデバイスも違えば、なんなら使う機体の個体差まであります。作者がそのように見え方をコントロールすることは100パーセント不可能だという事実が歴然としてそこにあるが分かります。

しかし、たとえ見方が変わったとしてもその写真が得る評価は変わらないのでしょうか? もしそれがほんとうに「いい」写真であるならばどんな方法で見ても同じように「いいね」なのでしょうか? 写真とはどうあるべきなのでしょうか? 試しに同じ状況をみなさん自身の写真に置き換えて想像してみてください。これは見た人それぞれにどう受け止められるかという実験であり問いかけだったのです。

本展を終えてからある興味深い意見をいただきました。それはプリントではなく「Tシャツが欲しい」という声だったのです。しかも一人や二人ではなかったのです。モノになったときに突如としてその写真はリアリティを帯び、鑑賞者にとって自分ごと化されたのかもしれません。想定外だった声に新しい気づきを得たような気持ちになりました。
 
この問いかけに答えはないと思いますが、めまぐるしく流れる現代において今一度立ち止まり「良い」写真とは何かという疑問について少しでも考える状況が生まれることを願っています。展示ステートメントはこう締めくくりました。
 
 
もしもSNSがなかったら、あなたはどんな写真を撮りますか?

プランナーのクズケンさんが本展について触れたnoteを書いてくれています。ここで言葉足らずだった部分を補足してくれるような内容になっていますので、ぜひあわせてご覧ください。
「いい写真」と「”いいね”な写真」 葛原健太//クズケン

 

※このテキストは写真本「ひろがるしゃしん」に収録予定です。